今、障がい者が健常者を上回るかもしれないという
パラスポーツ史上、最もエキサイティングな時代に突入している。
パラスポーツを革新的なスポーツとして
楽しむ時代が訪れようとしている。
その時代の主役になり得る一人が、
山本篤である――
「足のない奴でもこんなに跳べるんだ! 」
誰もが息を飲むほどの美しい跳躍。
誰よりも遠くへ跳びたいと想う強い心。
障がい者アスリートだからこそ、かっこよさにこだわる。
左足を失ったことを悲劇ではなく、むしろ幸せだと思う。
パラリンピック陸上の先駆的アスリートのすべてを描いた
読む人に勇気と元気を与える傑作スポーツノンフィクションがついに刊行!
パラアスリートのストーリーの多くが絶望の淵から這い上がった、
あるいは苦難を乗り越えて復活した人々の物語として語られるが、
そもそも山本が絶望したことは一度もない。
障がいを負ったことは苦難ではなく、むしろ彼を未知の世界へと解き放ったターニングポイントであり、
全霊をかけて取り組むに値する新たなチャレンジとの出会いだった。
だから本書では、苦しみの乗り越え方ではなくて、
楽しくて仕方ないことを追い求める山本
の無邪気な情熱から強く生きるためのヒントを得てもらえたら嬉しい。
――「はじめに」より
山本 篤(やまもと あつし)
1982年4月19日、静岡県生まれ。陸上競技選手。
T・F42クラス/スズキ浜松AC所属。2000年3月、高校2年のときに起こしたバイク事故で左足の大腿部を切断。
高校卒業後に陸上競技を始める。2004年、大阪体育大学入学。2008年、スズキ株式会社入社。
同年、北京パラリンピックで100mと走り幅跳びに出場し、走り幅跳びで銀メダルを獲得。
2012年のロンドンパラリンピックでは、100mと200m、走り幅跳びに出場。惜しくもメダルは逃すが、
2013年のIPC陸上競技世界選手権大会では走り幅跳びで金メダルを獲得。
翌2014年のアジアパラ競技大会では100m、走り幅跳び、400mリレーで金メダルを獲得する。
2015年のIPC陸上競技世界選手権大会でも走り幅跳びで金メダルに輝き2連覇を達成。
2016年の日本パラ陸上競技選手権大会では走り幅跳びで6m56の世界新記録を樹立。
同年、リオデジャネイロパラリンピックに出場。走り幅跳びで銀メダル、400mリレーで銅メダルを獲得。
パラスポーツ史上、最もエキサイティングな時代に突入している。
パラスポーツを革新的なスポーツとして
楽しむ時代が訪れようとしている。
その時代の主役になり得る一人が、
山本篤である――
「足のない奴でもこんなに跳べるんだ! 」
誰もが息を飲むほどの美しい跳躍。
誰よりも遠くへ跳びたいと想う強い心。
障がい者アスリートだからこそ、かっこよさにこだわる。
左足を失ったことを悲劇ではなく、むしろ幸せだと思う。
パラリンピック陸上の先駆的アスリートのすべてを描いた
読む人に勇気と元気を与える傑作スポーツノンフィクションがついに刊行!
パラアスリートのストーリーの多くが絶望の淵から這い上がった、
あるいは苦難を乗り越えて復活した人々の物語として語られるが、
そもそも山本が絶望したことは一度もない。
障がいを負ったことは苦難ではなく、むしろ彼を未知の世界へと解き放ったターニングポイントであり、
全霊をかけて取り組むに値する新たなチャレンジとの出会いだった。
だから本書では、苦しみの乗り越え方ではなくて、
楽しくて仕方ないことを追い求める山本
の無邪気な情熱から強く生きるためのヒントを得てもらえたら嬉しい。
――「はじめに」より
山本 篤(やまもと あつし)
1982年4月19日、静岡県生まれ。陸上競技選手。
T・F42クラス/スズキ浜松AC所属。2000年3月、高校2年のときに起こしたバイク事故で左足の大腿部を切断。
高校卒業後に陸上競技を始める。2004年、大阪体育大学入学。2008年、スズキ株式会社入社。
同年、北京パラリンピックで100mと走り幅跳びに出場し、走り幅跳びで銀メダルを獲得。
2012年のロンドンパラリンピックでは、100mと200m、走り幅跳びに出場。惜しくもメダルは逃すが、
2013年のIPC陸上競技世界選手権大会では走り幅跳びで金メダルを獲得。
翌2014年のアジアパラ競技大会では100m、走り幅跳び、400mリレーで金メダルを獲得する。
2015年のIPC陸上競技世界選手権大会でも走り幅跳びで金メダルに輝き2連覇を達成。
2016年の日本パラ陸上競技選手権大会では走り幅跳びで6m56の世界新記録を樹立。
同年、リオデジャネイロパラリンピックに出場。走り幅跳びで銀メダル、400mリレーで銅メダルを獲得。